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召天者記念礼拝 説教要旨

「天国での礼拝」黙示録7:9-17
鎌野 幸師
1.天国の礼拝
 ヨハネは幻で、天において大勢の群衆が、御座(父なる神様)と小羊(イエス様)の前で救われたことを喜んで叫び、ひれ伏して神様を拝んで賛美をささげているのを見ました。天国ではこの上ない感激の中で昼も夜も礼拝が続き、何の災いも、悩みも、涙もありません。しかし、この天国での礼拝には、選ばれた人たちしか集うことができません。
2.白い衣を着た人々
 天国での礼拝に集っている人々は、皆「白い衣」を着ていましたが、罪汚れのない「白」ではなく、小羊であるイエス様の血で洗われて白くされたものでした。また彼らは患難を通り抜けて来た人々でした。私たちの罪を赦し清めるために、十字架にかかり、血を流し尽くして死なれたイエス様を「私の救い主」と信じ、様々な苦しみの中にも信仰を持ち続けた人々が、天国での礼拝へ導かれます。
3.先に召された方も、私たちも共に
 先に召された方々は、それぞれ違った苦しみを抱えたり、死の苦しみを覚えたりする中も、イエス様を救い主と信じ、信仰をもって地上の生涯を全うされました。私たちも信仰を持ち続けて、終わりの日、先に召された方々と共に天国に入れていただき、喜びの礼拝へ集わせていただきましょう。
 

10月6日の説教要旨

「信仰にしっかりとどまる」使徒14:19-28
鎌野 幸師
1.迫害の中にあるクリスチャン
 ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラと行く先々でパウロとバルナバは「神の恵み」であるイエス様による救いを伝えました。多くの人々が聞いて信じる一方、ユダヤ人たちから迫害を受け命まで狙われました。迫害は二人の語る教えを信じたクリスチャンたちにも及び、彼らは苦しい信仰の戦いの中に置かれていました。
2.励ますために
 デルベでの宣教の後、パウロとバルナバは、自分達の命を狙った人たちのいるルステラ、イコニオム、ピシデヤのアンテオケに引き返しました。幼いクリスチャンたちの信仰が迫害の中で弱り、失われるのでなく、強められるように励ますためでした。パウロは命がけで人々を訪問し励ます牧会者でした。私たちも戦いの中にある兄弟姉妹の信仰が強められるように、励ますことができれば幸いです。
3.信仰にしっかりとどまる
 パウロは、偶像の中から救われた、ご利益ばかりを求めがちな幼いクリスチャンたちに「神の国に入るには苦しみも経なければならない」と福音の真理を教え、「信仰にしっかりとどまりなさい」即ち、イエス様を見続け、信じ続けなさいと勧めました。救い主イエス様の姿をしっかりと見続けるなら、イエス様を信じる気持ちが沸き上がり、信じる気持ちが深まって成長し、迫害や苦しみにも負けない強さが与えられます(ヘブル12:2)。
 

3月31日の説教要旨

「いかに生きるべきか」ローマ12:1-2
小山 潔隆師
 私たちの人生の第一の目的は、神の栄光をあらわし、神を喜んで生きることです。具体的には「礼拝をささげて」生きることです。
1.個人的に神の前に礼拝をささげる
神はモーセに何度も繰り返し語られ、モーセも神の声を聞いて神の指導を仰ぎました。モーセの神との交わりは、40年間、荒野の静けさに置かれた中で培われました。聖書の言葉の中に、現代の様々な問題を解決する鍵が記されています。個人的に主の愛の御声を静聴し、主を礼拝しましょう。
2.兄弟姉妹と共に礼拝をささげる
日曜日に教会で礼拝をささげることは、クリスチャンの生命線です。礼拝を離れて生きるなら、外面は生きていても内面は死んでいるのと同じです。礼拝の中で主の愛をいただき、兄弟姉妹と共にみ言葉を分かち合いましょう。
3.すべてをささげて主のために生きる
主は、あなたの心も身体も、魂も、心配事も、将来もすべて神に喜ばれる犠牲としてささげなさいと語られます。私たちがささげる時、キリストと共に死に、キリストと共によみがえり、聖霊と愛と信仰に満たされます。今の時代、主の愛を、主の救いを求めて待っている人たちが大勢います。家族や友人、知人のために祈り、人々を教会へ、救いへと導きましょう。主のなされるリバイバルの御業に期待しましょう。