お知らせ

9月1日の説教要旨

「壁を乗り越えて」使徒10:1-33
鎌野幸師
1.越えられない壁
 教会のリーダーであるペテロは、イエス様による救い(即ち福音)を異邦人には伝えませんでした。それは「ユダヤ人」としての誇りを強く持ち、汚れた異邦人は神の祝福に与れないと思っていたからです。神はペテロの偏見を取り除き、神が造られた全ての人に福音が伝えられるように、ペテロに「夢」を見せられ、「これらの動物を食べなさい」と語られましたが、ペテロは「汚れた動物は食べられません」と三度拒みました。ペテロの偏見という「越えられない壁」によって、福音宣教は妨げられていました。私たちの内にも、宣教を妨げる、強く固い「偏見」や「こだわり」があるかもしれません。
2.御霊の導きによって、
 神はペテロの偏見を取り除くために、計画をもって異邦人コルネリオに幻を、ペテロに夢を見させて語りかけ、それぞれになすべきことを示し導かれました。神の語りかけに従ったペテロとコルネリオが出会ったとき、ペテロの偏見は取り除かれ、「イエス・キリストはすべての人の主です」と告白し、ペテロはコルネリオに福音を伝えバプテスマを授けました。神のご計画の中で、語りかけ、導かれる御霊(私たちに示されるみ言葉)に従っていくとき、私たちの内側にある「偏見」や「こだわり」は取り除かれ、壁を乗り越えて福音は広く多くの人々に伝えられていきます。

もっく夏祭り

8月30日(金)午後2時~5時「もっく夏祭り」が開かれました。雨が心配されましたが守られ、たくさんの子どもたちが集まりました。かき氷、綿菓子、水風船、長い風船、卓球、バドミントンと、大賑わいでした!

8月25日の説教要旨

「イエス様の救い」マルコ5:1-20
犬塚直樹師
1.汚れた霊につかれた人
 汚れた霊につかれた人は、墓場(正常な人間社会から隔絶された暗闇と絶望)の中に住み、自分と周りを傷つけ苦しめ、神に背を向けて(罪に縛られて)生きていました。誰にも彼を救うことができませんでした。この人の姿は、私たち一人一人の本質をあらわしています。
2.イエス様の救い
 イエス様はこの人に近づき、汚れた霊から解放し、神に造られた本来の姿に回復されましたが、私たちにも出会って、暗闇と罪の中から救い出してくださいます。ある青年は、教会でのメッセージと、貼ってあるみ言葉「義人はいない、一人もいない」を通して自分の罪を示され、神の前に悔い改め、全ての人の罪を処分するために十字架にかかって死なれたイエス・キリストを信じて心の王座に迎えたことにより、自堕落な暗闇の生活から救い出されました。
3.イエス様の救いを伝える
 汚れた霊から解放された人は、家族のもとに帰り、多くの人にイエス様を伝えました。本人だけでなく、家族や周りの人にも喜びと平和が与えられました。私たちも「イエス様は必ず救ってくださる」と本気で信じて人々のために祈り、イエス様の救いを伝えて行きましょう。
 

もっく夏祭りのお知らせ



長い夏休みが終わります。
夏休み期間中、お休みしていた「もっく」は8月30日(金)から再開します。
8月30日(金)の午後2時~5時、「もっく夏祭り」を開きます。
かき氷食べ放題!・いろんな色の綿菓子づくり・水風船・そのほか、いろいろ遊べます。
お友達を誘ってきてくださいね。
お金はいりません! お待ちしています。

8月18日の説教要旨

「神に全くゆだねた人の生涯」ヨハネ6:3-11
小山潔隆師
1.全てをささげる生涯
 イエス様の弟子たちは、イエス様につき従う群衆の空腹を満たすものを何も持っていませんでしたが、イエス様は少年のささげた5つのパンと2匹の魚で5000人の必要を満たされました。私たちは「自分たちには何もできない」と思いがちですが、どんなに小さくても、私たちに与えられている全てをイエス様の手にささげるなら、イエス様は私たちのささげものを用いて、多くの人々の必要を満たされます。私たちの持っている五感、五つの臓器、五本の指、二つの目、二つの手足、そればかりか全てをささげるなら(ローマ12:1)イエス様が人々を助け、救いへと導いてくださいます。
2.祈りに専念する生涯
 イエス様の弟子たちや婦人たちが祈りに専念していた時、聖霊が降り、聖霊によって多くの人々が救いへと導かれました。①祈りの中で、罪深く臆病な自分を悔い改め、自分自身のからだも、魂も、心も、悩みも、失敗も、何もかもささげていく ②家族や友人、知人が救われるように、名を上げて本気で祈っていく ③聖書全体を少しずつでも毎日読み、祈る時を持つ あなたでなければ届かない人がいます。全てをささげ、祈りに専念し、人々をイエス様の元へと導く生涯を歩ませていただきましょう。

8月11日の説教要旨

「主に出会ったパウロ」使徒9:1-9
鎌野 幸師
1.以前のパウロ
 パウロはクリスチャンを迫害することを自分の使命として燃え、率先して行っていました。それは①パウロにとって「十字架で死んだ」イエスを「救い主」とするクリスチャンたちは「神を冒涜する者」だった ②熱心に律法を守り行っても満たされない空しさがあった③迫害の中にも平安を得ているクリスチャンたちを妬ましく思った からでした。パウロは人間によってゆがめられ、神の御心から離れた「律法」を信仰と人生の土台としたことによって、空しさや罪に囚われていました。
2.主に出会ったパウロ
 パウロはダマスコへの途上で、輝く光の中でイエスが語り掛ける声を聞き、イエスと出会いました。「出会い」とは、誰かと知り合い、向き合って「あなた」「わたし」と語り合う関係になることです。この出会いによってパウロは変えられました。
3.打ち砕かれたパウロ
 イエスと出会い、イエスが救い主と気づいたパウロは、①主に敵対してきた自分の「死に値する罪」に打ち砕かれ②失明のような状態の中、自分で何もできなくなり、自分の無力さに打ち砕かれました。けれどもこれは、パウロの目をふさいでいた間違った土台を打ち砕き、パウロが真の救い主イエスだけを見、信じ、イエスから与えられた使命を果たす者になるためでした。
 イエス様はパウロだけでなく、私たちにも出会ってくださり、私たちの間違った人生の土台を打ち砕き、私たちを空しさや罪、滅びから救い出して新しく造り変えてくださいます。
 

8月4日の説教要旨

「救いの喜び」使徒8:26-40
鎌野 幸師
1.行く先々で伝道したピリポ
 ステパノの殉教後、エルサレムから散らされた人々の信仰を励ますために、ピリポはサマリヤに遣わされ、同時に当時のユダヤ人が避けていたサマリヤ人にイエス様を伝えました。その後ピリポはガザに下る道、アゾト、カイザリヤと行く先々で伝道しました。私たちも行く先々でイエス様を伝えることができれば幸いです。
2.ピリポの個人伝道
 ピリポは①聖霊の導きに従って、荒れ果てたガザに向かって出かけ、出会った馬車と一緒に行き、そこでエチオピアの宦官と出会いました。②この宦官と一緒に行き寄り添う中で、彼が「読んでいる聖書の言葉について知りたい」と求めていることを知りました。③宦官の読んでいた聖書の言葉を通してイエス様を伝えました。私たちが伝道する時、心を静めて聖霊の導きを求め、聖霊の導きに従って相手に寄り添い、相手の求めに応じてみ言葉を通してイエス様を伝えることが大切です。
3.救いの喜び
 異邦人であり宦官であることによって神に近づけなかったエチオピアの宦官は、ピリポからイエス様について聞き、信じ、バプテスマを受けて神の民に加えられて、大きな喜びを得ました。一人の人が救われるなら、天においても大きな喜びがあります。この救いの喜びのために、私たちもイエス様を伝えましょう。

 

教会学校一泊キャンプを行いました


7月29日(月)~30日(火)教会で一泊キャンプを行いました。
プール、スイカ割り、卓球、天体観測、花火、ステンシル、たこ焼き作りと、盛りだくさん。いっぱい遊んで、いっぱい笑って、いっぱい食べて、思い出に残るキャンプになりました。
一人ぼっちの寂しい毎日から、イエス様に出会ってイエス様の愛を受け、福音書を書いてたくさんの人に覚えられたマタイさんのお話も聞きました。





 

7月28日の説教要旨

「天を見つめるステパノ」使徒7:54-60
鎌野 幸師
1.恐れないステパノ
 嫌疑をかけられ、裁判の席に立たされたステパノでしたが、〇敵の中でも恐れずに語り〇裁きの中、命の危険の中でも顔はみ使いのように輝き〇自分を殺そうとする人のために「彼らに罪を負わせないでください」と祈りました。ステパノが冷静さと平安、愛を保てたのは、天を見つめていたからでした。
2.天を見つめるステパノ
 ステパノは〇柔和で、あわれみ深く、平和をつくる人が招かれる「天の御国」を見つめ 〇悔い改める者の罪を赦し救いたいと願っておられる「父なる神様」を見つめ 〇罪がないのに十字架刑にされても、恐れず平安のうちに「彼らを赦してください」と祈られた「イエス様」を見つめていました。立ち上がって「がんばれ」と応援してくださるイエス様を見つめていました。私たちも、私たちに与えられている聖霊によって、危機の中でも天を見つめることができます。
3.一粒の麦となったステパノ
 ステパノの殉教以後、迫害のためにエルサレム以外の場所に移り住んだ人々はそこで福音を伝え、福音が広まりました。ステパノの姿を見ていたサウロ(パウロ)は回心し地の果て(ローマ)まで福音を伝えました。危機の中でも天を見つめていくとき、主は私たちが思う以上の豊かな実を結ばせてくださいます。

7月21日の説教要旨

「問題を乗り越えて」使徒6:1-7
鎌野 幸師
1.教会に起こった問題
 教会に加わる人たちが増えて行く中で、ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめたちの配給がおろそかにされているという苦情が出ました。これは、配給する側のヘブル語を話す者たちが、ギリシャ語を十分に理解できず、また人が増えて、実務のための手が足りなくなったことに原因がありました。
2.教会の対応
①執事を選ぶ 使徒たちは、今までのやり方の限界を認め、「新しい葡萄酒は新しい革袋に」(ルカ5:38)とあるように、新しい形で実務を行うために、7人の「知恵と御霊に満ちた、評判の良い」執事を選ぶことにしました。
②教会で問題に向き合う 使徒たちは教会の全員を集めて提案し、教会が執事を選び、教会は祈って選ばれた人たちに働きを委ねました。
③使徒たちは祈りとみ言葉の奉仕に励む 配給の実務がうまくいっても、祈りとみ言葉がおろそかになるなら、教会は教会でなくなります。使徒たちは本来の働きである「祈りとみ言葉」に専念しました。 
3.教会の進展
 守るべきものを守りつつ新体制になった教会には、ますます多くの人が加わりました。私たちも、教会全体で教会の問題に向き合い、聖霊の助けをいただいて乗り越えましょう。