礼拝説教要旨

7月14日の説教要旨

「神を恐れよ」使徒5:1-11
鎌野 幸師
1.恐ろしい出来事
 アナニヤとサッピラという夫婦は教会に献金をしたにもかかわらず、使徒ペテロから「神を欺いた」と非難され、直後に死んでしまいました。この出来事に神からのメッセージがありました。
2.出来事の意味
①教会には聖霊が臨在している イエス様を信じる人の集まりである教会には聖霊が臨在し、聖霊がアナニヤとサッピラの罪を見抜いてペテロに教え、ペテロを通して彼らの罪を裁きました(ヨハネ14:26・12)。
②神は罪を裁かれる 彼らは、人に良く見られたいために「土地を売った代金の全部です」と偽ってささげ、偽善の罪を犯しました。これは全てのクリスチャンと教会の中におられる聖霊を欺く罪でした。神はこの罪を裁かれました。
③神は教会を守られる 神でなく人を意識する「偽善者」である律法学者やパリサイ人の元に置かれている会堂に代わり、真の教会を造るために、昇天されたイエス様は聖霊を降され、教会は真実と聖さと愛に満たされました。その教会に再び偽善がはびこらないように、神は罪を裁かれました。
3.神を恐れよ(畏れよ)
 この出来事によって教会は今まで以上に神の臨在を意識し、一切の権威を持つお方として敬い従うようになり(=神を畏れる)、そこにイエス様を信じる者が加えられました。

7月7日の説教要旨

「大胆な伝道」使徒4:1-15
鎌野 幸師
1.大胆な伝道
 足のなえた男の人を癒したことにより捕らえられたペテロとヨハネは、「サンヘドリン」という最高議会にかけられました。これは教会にとっての最初の伝道の妨害でしたが、二人はひるむことなく大胆に「イエスによる以外には救いはない」と語り続けました。
2.大胆になれた理由
 ペテロとヨハネは①日々イエス様の言葉や姿を思ってイエス様と共に歩む中で、イエス様の大胆さに似ていきました。②議会には、二人と共に、実際にイエス様への信仰によって癒され救われた男の人も立ち、議会の者たちは、「目に見える証拠」を否定できませんでした。「救いの確かな証」には説得力があります。イエス様を信じ救われた私たち自身が何よりの証拠です。③二人はイエス様と共に歩む中で、真の正しさ、神の御心を知っていたので、議会の間違いを見抜き、「神に従います」とはっきり宣言できました。④二人は教会の働きとしてイエス様を伝え、教会は働きのために祈りました。祈りの応援によって二人は大胆に伝道することができました。私たちも日々イエス様と共に歩み、救いの確かな証を握り、祈りの応援に支えられて、身近な人たちにイエス様を伝えていきましょう。
 

6月30日の説教要旨

「私にあるものを上げよう」使徒3:1-10
鎌野 幸師
1.見つめた弟子たち
 神殿に行く途中、ペテロとヨハネは、神殿の門に置かれている、誰か、何かに頼らなければ生きていけない足のなえた人から施しを求められました。二人はこの人が心の奥で何を求めているかを知ろうとして、見過ごさずに「見つめ」ました。私たちの周りに、何かにすがろうとしている人がいるなら、その人を「見つめる」ことができれば幸いです。
2.私にあるものを紹介した弟子たち
 ペテロとヨハネは、この人が求めている「人の助けや物、お金」はありませんでしたが、「イエス様の名」即ちイエス様ご自身を持っていました。イエス様によって日々の生活が守られ、罪赦され新しく造り変えられ、知恵を与えられてイエス様を伝えるようになった二人は、自分たちを恵み生かしてくださる「イエス様」を紹介し、「あなたもイエス様を信頼して歩きなさい」と勧めました。私たちも、私たち自身を恵んでくださる「イエス様ご自身」を紹介できれば幸いです。
3.手を取って起こしてやった弟子たち
 ペテロとヨハネが、歩いた経験のないこの人の手を取って助けた時、この人が「自立して歩く」奇跡が起きました。私たちも、「イエス様に信頼して歩むとはこうですよ」と助け、手引きし、主の救いの御業を見せていただきましょう。
 

6月23日の説教要旨

「一つになって」使徒2:41-47
鎌野 幸師
1.最初の教会の姿
 ペンテコステの日に誕生した最初の教会は、力と愛と喜びに満ちた教会でした。ペテロの説教を聞いて自分の罪を悔い改め、イエス様を救い主と信じてバプテスマを受けて、「主の愛を心から喜び」「聖霊をいただいた」人々によってできた教会だったからです。また聖霊が一人一人と教会に、一時的に与えられただけでなく「留まって」おられたからでした。
2.人々の信仰生活
 救われた人々は、〇イエス様の弟子たちから聞いた「イエス様の教え」を素直に聞いて従い〇イエス様とみ言葉を中心とした分かち合い、証しのし合いという交わりを持ち〇イエス様の十字架に感謝し、今もイエス様がこの場に共におられることを思いながら一緒に食事をし〇イエス様と会話するように祈りました。日常生活の中で常にイエス様を思っている人々と教会に、聖霊は留まられました。
3.一つになって
 聖霊は教会に、力と愛と喜びと共に「一致」を与えました。3000人以上の人々がバラバラではなく、つながり一つとなっていくときに、教会に救われる人々が次々に加えられていきました。聖霊が留まられ「一つになって」いけるように、私たちも初代教会の人々の信仰生活に倣いましょう。
 

6月16日の説教要旨

「教会の誕生」使徒2:36-41
鎌野 幸師
1.ペテロの説教
 五旬節の日、聖霊による激しい響きに驚いて集まった人々に、ペテロは「力あるわざとしるしを行い、十字架にかかり、死からよみがえり、天に昇って聖霊を送られたイエス様こそ救い主である」とイエス様を証言すると共に、「あなたがたはそのイエス様を十字架につけて殺した」と人々の罪を指摘しました。このペテロの説教を聞いた人々によって最初の教会は誕生しました。教会では、教会の土台であるイエス様が聖書を通して証言され、人間の罪深い姿が指摘されます。
2.人々の応答
 ペテロの説教を聞いた人々は心を刺され、罪から救われるために「どうしたら良いでしょうか」と求めました。「悔い改めて、イエスの名によるバプテスマを受けなさい」と語られた言葉に応じて、バプテスマを受けました。ペテロを通して語られた神の言葉に応答してイエス様を救い主と信じた人々によって教会は誕生しました。教会は、神の言葉を聞いて応答し、イエス様を救い主と信じ従っていくところです。
3.聖霊の働きによって
 聖霊によってペテロが説教を語り、聖霊の働きの中で人々が応答して教会は誕生しました。今の時代にも聖霊が豊かに働かれ教会が教会として立って行けるように祈りましょう。
 

6月9日の説教要旨

「ペンテコステの恵み」使徒2:1-11
鎌野 幸師
1.聖霊降臨のしるし
 五旬節の日に、イエス様の弟子たちや仲間の者たちが集まって祈っていると、突然激しい風が吹いてくるような響きが家中に満ち、炎のような分れた舌が一人一人の上にとどまりました。これは弟子たちに、約束の聖霊は確かに与えられ、聖霊が弟子たちの口と共にあってイエス様を証言させてくださることをはっきりと示すための「しるし」でした。
2.弟子たちの変化
 聖霊を与えられた弟子たちは①様々な他国のことばを語り始めました。これはこの日だけのことでしたが、神様は聖霊が与えられるなら、言葉の壁を乗り越えて「地の果てまで」イエス様を証言していくことができると示されました。また弟子たちは②神の大きなみわざを語りました。イエス様はただ素晴らしいだけの方ではなく、「神様から遣わされた救い主、神のみわざ」なのだと証言しました。弟子たちは聖霊を与えられることにより、様々な壁を乗り越えて、力強く、正しくイエス様を証言していく者へと変えられました。
3.聖霊を求めよう
 熱心に祈り待ち望んだ弟子たちに聖霊は与えられました。終末が近いこの時、私たちも祈り求めて聖霊を与えていただき、様々な人にイエス様を力強く証言していきましょう。
 

6月2日の説教要旨

「聖霊を待ちのぞむ」使徒1:12-14
鎌野 幸師
1.父の約束を待ちなさい
 イエス様は弟子たちに「わたしを証言していきなさい」と使命をお与えになると共に「エルサレム(置かれている所)を離れないで聖霊を待ちなさい」とおっしゃいました。イエス様の昇天後、イエス様に代わり弟子たちが中心となって進める新しい形の宣教のために準備が必要だったからです。
2.祈った弟子たち
 イエス様の言葉を受けて、弟子たちは祈りました。祈りとは、私たちの活動をやめ、心と思いを神様に向ける神様との交わりです。弟子たちは〇婦人たちや、イエス様の働きに反対していたこともあるイエス様の兄弟たちとも共に祈りました。〇個々が自分の思いを祈るのではなく、神の御心に焦点を合わせ、心を一つにして祈りました。〇いつ与えられるかわからなくても、あきらめず、持続して、集中して「聖霊を与えてください」と祈り続けました。〇自分たちの罪深さや足りなさを自覚するからこそ、これからの宣教のために祈りました。その結果、10日後に聖霊が降り、弟子たちは力強くイエス様を証言し、教会ができました。私たちが力強くイエス様を伝え教会を建て上げていくためにも、聖霊が必要です。私たちの弱さ足りなさを自覚し、共に集まり、心を一つにし、祈りに専念して聖霊を待ちのぞみましょう。
 

5月26日の説教要旨

「再臨の約束」使徒1:1-11
鎌野 幸師
1.再臨の約束
 イエス様が天に昇って行かれる様子を見つめていた弟子たちに、み使いが「イエスはまたおいでになります」と再臨を約束しました。イエス様は世の終わり、裁きをするために再臨されます。この約束はこれから先に実現する、私たちにも関係のある約束です。
2.恐怖か、喜びか
 自分の罪深さを自覚するなら、裁かれ、死と滅びに定められるイエス様の再臨の時を恐れずにはいられないはずですが、イエス様を裏切った弟子たちは「再臨の約束」を聞いて喜びました(ルカ24:52)。それは弟子たちがよみがえられたイエス様と出会い、罪深い自分たちでも愛され、赦されていることを体験し、十字架と復活のイエス様こそ栄光の主と知ったからでした。イエス様をより深く知り、体験するなら、再臨は愛するイエス様に再会できる喜びの時になります。
3.再臨の時のために
 約束から2000年、再臨の時が延ばされているのは、造られた全ての人がイエス様を知り、信じ、救われるためです。弟子たちだけでなく私たちもイエス様の証人となり、イエス様の十字架の死と復活、イエス様の愛と赦しを伝えていきましょう。

5月19日の説教要旨

「互いに愛し合いなさい」ヨハネ13:1-15,34-35
鎌野 幸師
1.新しい戒め
  イエス様は旧約聖書で語られている「自分を愛するように隣人を愛する」ことに加え、「新しい戒め」として「わたしがあなたがたを愛したように」愛しなさいと語られました。
2.イエス様の模範
 師であるイエス様は、弟子たちの汚れた足を自ら洗うことを通して、①誰が一番偉いか、一番下かなど関係なく、相手の必要のために僕となって仕えること②自分を裏切るような相手であったとしても、「自分のもの(ヨハネ13:1)大切な存在」として愛し仕えること を教えられました。
3.互いに愛し合う
 イエス様は、イエス様を中心にして共に生きる弟子たちに「互いに愛し合いなさい」とおっしゃいました。教会に集う私たちも、イエス様を中心にして共に生きるイエス様のものであり兄弟姉妹です。イエス様の模範に倣って互いに愛し合いましょう。「愛」は受け取ることも大切です。自分の弱さや失敗、プライドも捨てて「愛」を受け取りましょう。
4.神を全ての人に示すために                  
 私たちがイエス様の模範に倣って愛し合うなら、そこに神がおられ(Ⅰヨハネ4:12)、神を見たことのない世の人々に真の神の姿を示すことになります。
 

5月12日の説教要旨

「神の子として」Ⅰヨハネ5:1-5
鎌野 幸師
1.神の子とは
 「神の子」とは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に、よみがえられたイエス様を私の救い主と信じる者のことで、その信仰は血筋や人間的な努力や苦労によってではなく(ヨハネ1:12)、神の不思議な選びと導きによって与えられます。大きな悩みや苦しみを通らなくても、劇的な変化がなくても、イエス様を救い主と信じる者は、誰でも「神の子」です。
2.神の子に注がれているもの
 人間の親はわが子を愛して命をかけて子を産み育てますが、それ以上の本物の愛をもって、父なる神様は「神の子」を愛されました。罪人を「神の子」として新たに生まれさせるために、一人子イエス様の命を十字架で犠牲にされました。それは新しく生まれた「神の子」と共に歩んで育む「聖霊」を与えるためでもありました。この父なる神様の「命を捨てるほどの愛」は、今も変わらず「神の子」に注がれています。
3.世に勝つ神の子                   
 私たちの置かれている「世」は、自分本位に生きる人たちのあふれる、愛のない暗いところです。しかし「神の子」は、父なる神様から愛を注がれて本物の愛を知り、聖霊により愛を行う力が与えられて、神と人を愛することができます。私たちは「神の子」として世に勝利していきましょう。