礼拝説教要旨

3月4日の礼拝説教要旨

「一番大切な戒め」
マタイ22:34-40

 
                 2018年3月4日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.不可分の二つの戒め
 この箇所で主イエスは、ある律法をないがしろにしているとの言いがかりを付ける為の「律法の中での一番大切な戒めは何か」とのパリサイ人の質問に、神を愛する事と人を愛する事であると答えられました。神を愛していると自負しながら、人を見下している彼にこの二つはつながった一つの事であると教えられたのです。

2.祈りは姿勢を変える
 主イエスがここで「隣人を愛せよ」と教えられましたが、主イエスの「隣人」の概念は、ユダヤ人たちが持っていた同胞を中心とした限られた物から全ての人に広がる物でした。私たちも、愛し辛いと思える人であっても、「迫害する者のために祈りなさい」との主イエスに倣い、祈る事から始めさせていただきましょう。

 神を愛する事と人を愛する事はつながった一つの事である事を思い、隣人を愛する者となる為に、祈る事から始めさせていただきましょう。
 

2月25日の礼拝説教要旨

「子ろばに乗った王」
マタイ21:1-11

 
                 2018年2月25日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.群衆たちの期待
 この箇所で、主イエスはエルサレムに「荷物を運ぶろばの子」に乗って入城されます。この子ろばは主イエスの苦難と謙遜を象徴しています。しかし、群衆たちは「ダビデの子にホサナ」と主イエスをほめたたえながら迎えましたが、彼らが望んだのはかつてのダビデ王国を再興するような力ある王でした。

2.苦難とへりくだりのお方
 群衆が主イエスに求めた王の姿は、ローマ帝国の圧政から解放し、諸外国にいいようにされない独立を確保した力をもった存在でした。それは、言わば腕力をもとにした恐怖心に根差した影響力と言う事が出来ます。しかし、主イエスはろばの子に乗られ、十字架による苦難と謙遜をもって愛の交わりを築かれたのです。

 私たちも、人の恐怖心に根差した影響力の誘惑を拒み、主イエスの十字架の愛に満たされ、愛の交わりを築く者となりましょう。
 

2月18日の礼拝説教要旨

「仕える生き方」
マタイ20:20-28

 
                 2018年2月18日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.苦難の杯
 この箇所で主イエスは御国においての栄光には苦難が伴う事を語っています。しかし、クリスチャンのキリストのための苦しみは、パウロが「私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです」と語っているようにキリストによる慰めをも経験するものです。

2.しもべになる
 そして、主イエスは弟子たちの間で人の先に立ちたい者はしもべとなりなさいと教えられたのです。世にあっては偉い人は自分の利益のために人を利用しますが、主の弟子は人の真の益を思って仕える者となるようにと語られたのです。何でも言うとおりにするというのではなく、人の真の益を思って仕える者となりましょう。

 苦難があっても主イエスの慰めを経験する者として歩み、人の真の益を思いながら仕える者とならせていただきましょう。
 

1月21日の礼拝説教要旨

「十字架を負う生涯」
マタイ16:21-26

 
                 2018年1月21日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.「自分の」十字架を負う
 主イエスはこの箇所で、弟子たちにご自分が十字架と復活の道を進まれる事を語られました。そして、その私の弟子も「自分の十字架を負う」べき者である事を語られたのです。私たちには、自分にしか担えない自分の十字架、使命があります。人との比較でなく自分の使命を見据えて主イエスの後をついて行きましょう。

2.死んだ者に与えられるいのち
 そして、主イエスは、自分の計画、考え、願望に死んで、自分の十字架を負い、主の御心に生きる者は豊かな霊的いのちが与えられる事を語られました。逆に言うならば、それをないがしろにするならば、どんな素晴らしい物を得たとしても埋め合わせる事の出来ない大切な聖霊による喜びと平安、主からの栄誉を失います。

 この新年、人との比較でなく、私にしか担えない、私の十字架、使命を担い、何よりも勝る豊かないのちに生きる者となりましょう。
 
 

2月4日の礼拝説教要旨

「一番偉い人」
マタイ18:1-5

 
                 2018年2月4日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.人の上に立ちたい弟子たち
 この箇所は弟子たちが「だれが一番偉いのでしょうか」と主イエスに尋ねられた質問から始まっています。弟子たちの間に人の上に立ちたいという妬みとプライドがうごめいていたのです。この人を序列付け、上に立とうとする意識は、今の日本社会の中にも色濃く見えます。主イエスは質問に次のように答えられました。

2.みなに仕える者
 「自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」自分を低くする者、マルコの福音書の並行個所では「みなに仕える者」が偉く人の先に立つ者であると主イエスは語られました。私たちも世の価値観とは逆に立って、命を注いで仕えて下さった主イエスのご愛を思い、私たちの目の前の人に仕え愛する者となりましょう。

 少しでも上にと世の人と同じように求めるのでなく、自らを低くし、目の前の尊い一人の人に仕え愛する者となりましょう。
 

2月11日の礼拝説教要旨

「だれが救われるのか」
マタイ19:16-26

 
                 2018年2月11日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.青年の不安と自負
 この箇所では永遠のいのちを得るためにはどうしたら良いのかと主イエスに問う青年の姿が記されています。そのためには律法を守る事を教えた主イエスにそのような事は守っているけれども「何がまだ欠けているのでしょうか」と欠けのない生き方を送って来た事の自負はあるけれども、拭い去れない不安を吐露するのです。

2.恵みに徹する
 不安をのぞかせる青年に主イエスは財産を売り払って貧しい人たちに与え、主によりすがる者となるように教えられました。そして、「だれが救われる」のかとの弟子の問いに、「人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」と人の業ではなく、主の恵みによって人は救われる事を示されたのです。

 人の業をもって神に受け入れられようとするなら不安を拭い去れません、どこまでも主の恵みに徹する信仰生活を送りましょう。
 

1月28日の礼拝説教要旨

「山上での変貌」
マタイ17:1-8

 
                2018年1月28日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.教育の山
 主イエスはこの箇所で、弟子たちを連れて山に登り、栄光の御姿に変わられ、旧約聖書を代表するモーセとエリヤと語り合った事が記されています。その会話の内容は「ご最期について」であったと記されています。主イエスは弟子たちにご自分の十字架の使命について理解する事を願い栄光の御姿を現されたのでした。

2.彼の言うことを聞きなさい
 しかし、ペテロはその主イエスの真意を受け留められず、その光景に有頂天となってその状況が続く様にと滞在ための幕屋を造りましょうかと提案しました。神様はその様な弟子たちに「彼の言うことを聞きなさい」と語り掛けられました。私たちも自分の聞きたい事だけでなく、主イエスの細き御声に耳を傾けましょう。

 主イエスは私たちに何を語り掛けておられるでしょうか?自分の都合の良い事だけでなく、主の細き御声に耳を傾けましょう。
 

1月14日の礼拝説教要旨

「キリストにある新創造」
Ⅱコリント5:13-19

 
                 2018年1月14日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.新しくされた価値観
 この手紙の著者パウロは「うわべのことで誇る人たち」に誠実さが疑われていた様です。そして、「気が狂っている」という誤解もあった様です。しかし、パウロは人からどう言われ様とも、キリストの愛が迫っているが故にキリストの為に生きる者となったと告白するのです。私たちもこの価値観に生きる者とされました。

2.新しくされた使命
 さらにパウロはだれでもキリストにあるなら、「新創造」に与った者である事を語り、この神との和解と言う祝福を宣べ伝えていく「和解の務め」を与えられているお互いである事をコリントの教会の人たちに語り伝えています。私たちも、この「和解の務め」という新しい使命を委ねられているお互いです。

 新年キリストにあって新しくされた者として、新しい価値観と新しい使命に生きる者とならせていただきましょう。
 

12月31日の礼拝説教要旨

「感謝にあふれて」
コロサイ3:15-17

 
                 2017年12月31日(日)年末感謝礼拝
野﨑 俊師
1.赦し愛された感謝
 この箇所では新しくされた者がどう生きるべきかが記されています。パウロはコロサイの教会の人たちに、慈愛という思いやりと優しさに生き、主に赦された者として、互いに赦し合い、すべての行いの背後に愛があるように教えたのです。この一年、人の優しさに支えられ、赦され、愛され、祈られた感謝を心に刻みましょう。

2.神の御恵みへの感謝
 そして、パウロは続く箇所にあって、「感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」と記しています。これは「神の恵みにあふれて」とも訳す事が出来る箇所です。一年間を振り返ってみると、主の御恵みによって支えられ、守られて導かれて来た事を思わされます。一年間の恵みの心からの感謝を主にお捧げしましょう。

 一年間を締めくくるにあたって、人に赦され、愛され、祈られた感謝と、御恵みによって支えて下さった主への感謝を心に刻みましょう。
 

12月24日の礼拝説教要旨

「博士たちの礼拝」
マタイ2:1-12

 
                 2017年12月24日(日)クリスマス礼拝
野﨑 俊師
1.ヘロデ王の恐れ
 東方の博士たちが、星に示された救い主の誕生の知らせを受けて、エルサレムを訪れた時、その知らせを聞いたヘロデ王は恐れ惑いました。ユダヤ人たちが待ち望んでいたダビデ王家の血筋とされる救い主が生まれたなら、自分の立場が危うくなると考えたのです。自分本位の生き方は失われる恐れが付きまといます。

2.ひれ伏し拝んだ博士たち
 そのヘロデ王に対して、博士たちは幼子主イエスの前にひれ伏します。そして、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。この捧げ物は贈られた主イエスが王であり、神と人をつなぐ祭司であり、その道をご自身の死をもって開くお方である事を表しています。彼らは主イエスを自分の人生の主人としてあがめたのです。

 自分本位の恐れにさいなまれる生き方でなく、私たちのために命を捧げて下さった方のために委ね生きる真の平安の道を進みましょう。