礼拝説教要旨

10月13日の説教要旨

「対立から一致へ」使徒15:1-21
鎌野 幸師
1.信仰の相違と対立
 パウロとバルナバが伝道旅行からアンテオケ教会に戻ると、エルサレム教会から来た人々が、「異邦人も割礼を受けなければ救われない」と教え、教会は混乱していました。パウロとバルナバは「信じるだけで救われる」と主張し両者は対立しました。教会の中で「正しい信仰をはっきりさせ守って行く」ためには、避けてはいけない対立・論争があります。
2.エルサレム会議
 この問題の解決のために、エルサレム会議が開かれました。激しい論争の後、エルサレム教会のペテロは「神の恵みの事実」を証拠として、ヤコブは「聖書のみ言葉」を根拠として、アンテオケ教会のパウロとバルナバも「神の恵みの事実」を証拠として「異邦人に割礼は必要なく、信じるだけで救われる」と主張しました。教会の中の会議は、人ではなく教会の頭であるイエス様の前に開かれる会議であり、神の御心を求め、受け取り、従っていくために開かれるものです。
3.主にある一致
 会議に出席した者たちが神の御心を求めることにより、聖霊は両者に共通理解、一致を与えてくださいました。私たちも神の御心を求めることにより、イエス様を信じる者の内におられる聖霊によって一致していきましょう(Ⅰコリント12:13)。

10月6日の説教要旨

「信仰にしっかりとどまる」使徒14:19-28
鎌野 幸師
1.迫害の中にあるクリスチャン
 ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラと行く先々でパウロとバルナバは「神の恵み」であるイエス様による救いを伝えました。多くの人々が聞いて信じる一方、ユダヤ人たちから迫害を受け命まで狙われました。迫害は二人の語る教えを信じたクリスチャンたちにも及び、彼らは苦しい信仰の戦いの中に置かれていました。
2.励ますために
 デルベでの宣教の後、パウロとバルナバは、自分達の命を狙った人たちのいるルステラ、イコニオム、ピシデヤのアンテオケに引き返しました。幼いクリスチャンたちの信仰が迫害の中で弱り、失われるのでなく、強められるように励ますためでした。パウロは命がけで人々を訪問し励ます牧会者でした。私たちも戦いの中にある兄弟姉妹の信仰が強められるように、励ますことができれば幸いです。
3.信仰にしっかりとどまる
 パウロは、偶像の中から救われた、ご利益ばかりを求めがちな幼いクリスチャンたちに「神の国に入るには苦しみも経なければならない」と福音の真理を教え、「信仰にしっかりとどまりなさい」即ち、イエス様を見続け、信じ続けなさいと勧めました。救い主イエス様の姿をしっかりと見続けるなら、イエス様を信じる気持ちが沸き上がり、信じる気持ちが深まって成長し、迫害や苦しみにも負けない強さが与えられます(ヘブル12:2)。
 

9月29日の説教要旨

「福音は異邦人へ」使徒13:42-52
鎌野幸師
1.神の恵みを語ったパウロ
 ピシデヤのアンテオケに移動したパウロとバルナバは、ユダヤ人の会堂で「イスラエルの民を罪から解放し祝福するために神が送られた数い主、イエス・キリストを信じる者は皆、律法によって得られなかった救いをいただける」と「神の恵み」を語りました。人々はこの福音を喜んで聞きました。
2.恵みを拒む人々
 しかし、「律法を厳格に守ることによって」「神から特別に選ばれたユダヤ人だけが」救われると固く信じてきたユダヤ人指導者たちは、一方的に全ての人に注がれる神からのプレゼントである「恵み」を理解できず、拒みました。「祝福を得るためには、努力と才能、代価が必要」と叫ばれる今の時代、多くの人々は「信じるなら(信じるだけで)救われ、祝福される」という「神の恵み」を拒み、宣教の難しさを感じます。
3.福音は異邦人へ
 行き詰まりの中、パウロがみ言葉を根拠として、異邦人を中心に宣教していくことに方向転換した結果、多くの異邦人が救われ、キリスト教は全世界の人々に伝えられました。「神の恵み」を拒む人がいても、神は新たな宣教の道を開かれます。困難も益と変えてくださる神を信じ、神が開いてくださったところで「神の恵み」を語り伝えて行きましょう。
 

9月22日の説教要旨

「救いのみわざ」使徒13:1-12
鎌野幸師
1.宣教への出発
 アンテオケ教会が誕生して1年、バルナバとサウロが聖霊に示されて「教会を離れ各地に宣教に行きたい」と申し出ると、教会は断食して祈り、教会に必要な指導者バルナバとパウロを宣教に送り出しました。宣教は、聖霊による示し(召し)に対して祈りをもって応答し、一歩踏み出すところから始まります。
2.キプロスでの宣教
 二人がキプロスで宣教を始めると、地方総督セルギオ・パウロが求道しました。魔術師エルマが彼を信仰から遠ざけましたが、聖霊に満たされたパウロがエルマをにらみつけて命じると、エルマは盲目となり力を失いました。聖霊に導かれて宣教が始められても、そこには悪魔による妨害と戦いが必ずありますが、私たちの内におられる聖霊が勝利されます。悪魔を倒すための武器は御霊の剣であるみ言葉と祈り(エペソ6:17-18)です。
3.救いのみわざ
 エルマによる妨害が取り除かれ、主の教えを聞いて感動した地方総督は、信仰に入り救われました。聖霊が宣教を始め、悪魔に勝利し、主の教えを語り、心を感動して救いの御業が成し遂げられました。聖霊は教会が一致して主を礼拝し祈って行く中で働かれます。私たちも主をあがめて礼拝し、祈り、聖霊の働きの中で救いの御業を見せていただきましょう。

9月15日の説教要旨

「祈る教会」使徒12:1-17
鎌野幸師
1.祈る教会
 エルサレム教会に対するヘロデ王の迫害が強まる中、教会の中心的な指導者ヤコブが処刑され、ペテロも捕らえられ厳重な監視の下に置かれました。ペテロの命の危機、教会の存亡にかかわる危機の中で、教会の人々は皆で集まり、ペテロが救い出されるようにと「名をあげて具体的に」「あきらめずに継続して」祈り続けているとき、状況が変わりました。教会のメンバーはどの人も神の家族の一員であり、教会の働きを担う一人です。危機の中にある一人のために、教会の皆で心を合わせ、具体的に、あきらめずに祈り続けましょう。
2.祈りの答え
 処刑の前夜、ペテロはみ使いに導かれて、奇跡的に牢獄から救い出されました。全能の神の前にはあらゆる可能性が開かれています。しかし、神は私たちの願った通りではなく、神の御心、神の最善をもって祈りに応えられます。神の最善に委ねながら、神の可能性に大いに期待して祈りましょう。
3.確信のない祈りでも
 教会の人々は祈っていながら、戻ったペテロを見て驚きました。確信のない祈りでも、神は聞いて応えられました。教会は半信半疑であっても祈り続け、神の救いの御業を体験させていただき、祈る体質を身につけさせていただきましょう。
 

9月8日の説教要旨

「アンテオケ教会の始まり」使徒11:19-30
鎌野幸師
1.キプロス人とクレネ人による伝道
 迫害により散らされたユダヤ人たちは、行った先でユダヤ人にしかイエス様を伝えませんでしたが、キプロス島やクレネ出身でエルサレムで信仰をもったユダヤ人たちは、アンテオケのギリシャ人たちに、「主イエス」を伝えました。すると大勢のギリシャ人がイエス様を信じ、アンテオケ教会が誕生しました。神は、全世界の様々な人々に福音を伝えるために、ユダヤ人以外の人や文化に触れたことがあり、外国人に対する偏見の薄いキプロス人とクレネ人を用いられました。
2.バルナバの派遣
 救われたギリシャ人を育てるために、聖霊と信仰に満ちた「バルナバ」がアンテオケ教会に派遣されました。ギリシャ人たちは、救われたとはいえ、まだ唯一真の神について良く知らず、世的な生き方をしていましたが、バルナバは彼らが救われたことを喜び、「主イエスにとどまっているように」と励まし、その後教える賜物のある協力者サウロ(パウロ)と共に彼らを教えました。ギリシャ人たちたちは1年の間に、イエス様を一番にして従い、人々に愛を現わす「キリスト者」と呼ばれる者たちへ成長しました。
3.主の御手に導かれて
 アンテオケ教会は人の賜物や力でなく、「主の御手が共にあった」ことにより誕生・成長しました。私たちの教会もイエス様を信じ従い、主の御手の中で成長へと導いていただきましょう。
 

9月1日の説教要旨

「壁を乗り越えて」使徒10:1-33
鎌野幸師
1.越えられない壁
 教会のリーダーであるペテロは、イエス様による救い(即ち福音)を異邦人には伝えませんでした。それは「ユダヤ人」としての誇りを強く持ち、汚れた異邦人は神の祝福に与れないと思っていたからです。神はペテロの偏見を取り除き、神が造られた全ての人に福音が伝えられるように、ペテロに「夢」を見せられ、「これらの動物を食べなさい」と語られましたが、ペテロは「汚れた動物は食べられません」と三度拒みました。ペテロの偏見という「越えられない壁」によって、福音宣教は妨げられていました。私たちの内にも、宣教を妨げる、強く固い「偏見」や「こだわり」があるかもしれません。
2.御霊の導きによって、
 神はペテロの偏見を取り除くために、計画をもって異邦人コルネリオに幻を、ペテロに夢を見させて語りかけ、それぞれになすべきことを示し導かれました。神の語りかけに従ったペテロとコルネリオが出会ったとき、ペテロの偏見は取り除かれ、「イエス・キリストはすべての人の主です」と告白し、ペテロはコルネリオに福音を伝えバプテスマを授けました。神のご計画の中で、語りかけ、導かれる御霊(私たちに示されるみ言葉)に従っていくとき、私たちの内側にある「偏見」や「こだわり」は取り除かれ、壁を乗り越えて福音は広く多くの人々に伝えられていきます。

8月25日の説教要旨

「イエス様の救い」マルコ5:1-20
犬塚直樹師
1.汚れた霊につかれた人
 汚れた霊につかれた人は、墓場(正常な人間社会から隔絶された暗闇と絶望)の中に住み、自分と周りを傷つけ苦しめ、神に背を向けて(罪に縛られて)生きていました。誰にも彼を救うことができませんでした。この人の姿は、私たち一人一人の本質をあらわしています。
2.イエス様の救い
 イエス様はこの人に近づき、汚れた霊から解放し、神に造られた本来の姿に回復されましたが、私たちにも出会って、暗闇と罪の中から救い出してくださいます。ある青年は、教会でのメッセージと、貼ってあるみ言葉「義人はいない、一人もいない」を通して自分の罪を示され、神の前に悔い改め、全ての人の罪を処分するために十字架にかかって死なれたイエス・キリストを信じて心の王座に迎えたことにより、自堕落な暗闇の生活から救い出されました。
3.イエス様の救いを伝える
 汚れた霊から解放された人は、家族のもとに帰り、多くの人にイエス様を伝えました。本人だけでなく、家族や周りの人にも喜びと平和が与えられました。私たちも「イエス様は必ず救ってくださる」と本気で信じて人々のために祈り、イエス様の救いを伝えて行きましょう。
 

8月18日の説教要旨

「神に全くゆだねた人の生涯」ヨハネ6:3-11
小山潔隆師
1.全てをささげる生涯
 イエス様の弟子たちは、イエス様につき従う群衆の空腹を満たすものを何も持っていませんでしたが、イエス様は少年のささげた5つのパンと2匹の魚で5000人の必要を満たされました。私たちは「自分たちには何もできない」と思いがちですが、どんなに小さくても、私たちに与えられている全てをイエス様の手にささげるなら、イエス様は私たちのささげものを用いて、多くの人々の必要を満たされます。私たちの持っている五感、五つの臓器、五本の指、二つの目、二つの手足、そればかりか全てをささげるなら(ローマ12:1)イエス様が人々を助け、救いへと導いてくださいます。
2.祈りに専念する生涯
 イエス様の弟子たちや婦人たちが祈りに専念していた時、聖霊が降り、聖霊によって多くの人々が救いへと導かれました。①祈りの中で、罪深く臆病な自分を悔い改め、自分自身のからだも、魂も、心も、悩みも、失敗も、何もかもささげていく ②家族や友人、知人が救われるように、名を上げて本気で祈っていく ③聖書全体を少しずつでも毎日読み、祈る時を持つ あなたでなければ届かない人がいます。全てをささげ、祈りに専念し、人々をイエス様の元へと導く生涯を歩ませていただきましょう。

8月11日の説教要旨

「主に出会ったパウロ」使徒9:1-9
鎌野 幸師
1.以前のパウロ
 パウロはクリスチャンを迫害することを自分の使命として燃え、率先して行っていました。それは①パウロにとって「十字架で死んだ」イエスを「救い主」とするクリスチャンたちは「神を冒涜する者」だった ②熱心に律法を守り行っても満たされない空しさがあった③迫害の中にも平安を得ているクリスチャンたちを妬ましく思った からでした。パウロは人間によってゆがめられ、神の御心から離れた「律法」を信仰と人生の土台としたことによって、空しさや罪に囚われていました。
2.主に出会ったパウロ
 パウロはダマスコへの途上で、輝く光の中でイエスが語り掛ける声を聞き、イエスと出会いました。「出会い」とは、誰かと知り合い、向き合って「あなた」「わたし」と語り合う関係になることです。この出会いによってパウロは変えられました。
3.打ち砕かれたパウロ
 イエスと出会い、イエスが救い主と気づいたパウロは、①主に敵対してきた自分の「死に値する罪」に打ち砕かれ②失明のような状態の中、自分で何もできなくなり、自分の無力さに打ち砕かれました。けれどもこれは、パウロの目をふさいでいた間違った土台を打ち砕き、パウロが真の救い主イエスだけを見、信じ、イエスから与えられた使命を果たす者になるためでした。
 イエス様はパウロだけでなく、私たちにも出会ってくださり、私たちの間違った人生の土台を打ち砕き、私たちを空しさや罪、滅びから救い出して新しく造り変えてくださいます。