礼拝説教要旨
2017年10月20日
「神へのナジル人」
士師記16:4-6,15-22
士師記16:4-6,15-22
2017年10月8日主日礼拝
野﨑 俊師
野﨑 俊師
1.主を軽んじたサムソン
サムソンは生涯を神様に捧げられた神へのナジル人としてこの世に誕生しました。主はそのサムソンの生涯を祝福され怪力という賜物を与えられました。しかし、サムソンはデリラという女性の願いに負けて、主の祝福を軽んじ、大したものではないかのように扱い、ナジル人の誓願を危険にさらしていったのです。
2.悔い改めたサムソン
そして、主が離れ祝福を失ったサムソンはペリシテ人に捕えられ、牢に入れられ穀物を粉にするという労働を課せられます。彼はその孤独で単調な作業の中で、自らを省み、一時的な感情を優先して主の祝福を軽んじて言った自らの愚かさに気付かされ悔い改めます。主はそんなサムソンに祝福を返されました。
主の道を軽んじ、主の祝福を一時的な感情で失う事のないように。道をそれた自分に気付かされたなら十字架を仰いで立ち返りましょう。
2017年10月12日
「ギデオンの召命」
士師記6:7-16
士師記6:7-16
2017年10月1日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
野﨑 俊師
1.「勇士よ」という励まし
神様がイスラエルを救う士師として立てたギデオンはミデヤン人を恐れて酒ぶねという穴に隠れて脱穀しているような臆病者でした。そんなギデオンに主は使いを遣わし、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と語り掛けました。主は恐れ縮こまっていないで主が共におられる事を思い、奮い立てと励まされたのです。
2.「あなたのその力で」という召し
そして主は「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。」と招かれたのです。ギデオンは自分の分団は弱く、私も若輩者に過ぎませんと語りますが、主は「あなたのその力」が必要なのだと語られるのです。そして、主に持っている力を捧げたあなたと共に私はおり、その働きを支え導くと語られたのです。
主は私たちの持っている力を必要としています。そして、持っている力を主に捧げた者と共におり、働きを支え導いて下さるのです。
2017年9月29日
「限りある命を生きる」
ヨハネ3:1-15
ヨハネ3:1-15
9月17日(日)主日礼拝
岸本 望師
岸本 望師
この箇所でユダヤ教の教師であったニコデモは主イエスとのやりとりの中で「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。」と自分の人生の黄昏の時を思わせる言葉を語っています。そのニコデモに主イエスは「人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」と主イエスの十字架の御業によって与えられる永遠のいのちについて語られました。
人生は限りがあります。しかし、主イエスを信じ、その十字架と復活による贖いの御業に与る時、私たちには永遠の希望が与えられます。私たちもこの慰めに生き、この希望を語り伝える者とならせていただきましょう。
2017年9月29日
「逆風の中での慰め」
マタイ14:22-33
マタイ14:22-33
9月10日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
野﨑 俊師
1.神である主イエスの慰めの言葉
湖の上を舟で移動していた弟子たちは、逆風の中で9時間もの間進みあぐねていました。疲労困憊する中で、恐れと不安に満たされていた弟子たちは主イエスの接近さえも幽霊としておびえてしまったのです。私たちも、身体に不調を抱え不安がある時、物事をマイナスに捉えがちです。そんな私たちにも、主イエスは神としての権威と御力をもって、「しっかりしなさい。恐れることはない」と慰めて下さるのです。
2.主を仰ぎつつ進む
その言葉の後に、ペテロが主イエスの御力を信じて、主イエスと同じように湖の上を歩きますが、吹いてくる風に思いを取られ、恐れて沈んでしまいます。私たちも、「イエスから目を離さないでいなさい」とある御言葉に立って、主イエスに思いを集中し委ね進みましょう。
疲れ恐れる時にも、力ある神なる主イエスの慰めの言葉に立ち続けましょう。
2017年9月29日
「祝福されるささげ物」
マタイ14:13-21
マタイ14:13-21
9月3日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.それぞれのベストを主にささげる
主イエスに助けを求めてついてきた群衆たちに食べさせる物がなかった時、それぞれで買いに行かせようとする弟子たちに、主イエスは弟子たちが今持っている全てである5つのパンと2匹の魚を持ってくるように語り、それらを祝福し、1万人を超える人々を満腹させました。私たちも、与えられている賜物と状況の中で精一杯の物を主に差し出し、それらを祝福される主の御業を拝させていただきましょう。
2.聖餐式の前味
この出来事は聖餐式の前味として理解する事が出来、ユダヤ人の間での家族の食事のイメージが込められています。私たちも聖餐式に与る時、共にキリストの祝福を分かち合い、キリストの身体を形成する一つとされた各器官であり、神の家族である事を覚えましょう。
それぞれのベストを主に捧げ、聖餐式は一つとされたお互いである事を思い与りましょう。
2017年9月9日
「夏を造られた神さま」
詩篇74:16-17
詩篇74:16-17
灘教会牧師 鷹取宗明
本日は教区講壇交換礼拝で皆様とご一緒に礼拝を守らせていただけますことを感謝いたします。四季も神さまが与えてくださり、夏は特に猛暑酷暑で厳しいですが、その中にも神さまの愛があることを覚えます。わたしたちの生活に欠かすことのできないお米は、葉緑素と太陽と炭酸ガスなどによって澱粉がつくられお米になります。暑さの中にも愛の神さまはわたしたちに必要なお米をつくってくださっています。夏は試練の時、忍耐が養われる時です。人生の夏と思われる試練や患難のなかにあっても神さまは万事を益とし祝福と恵みを与えてくださいます。人生の痛みや苦しみはわたしたちを救いイエス様のもとに導き、いやしと慰めを与え神の国に生きる救いを与えて神のいのちに生きる者としてくださいます。夏は解放を与えて山に海に人々を行かせます。罪は悲惨をもたらしますが主イエス様の救いは、今も変わることなく輝いています。十字架と復活の主を信じよう
2017年8月30日
「万事を益とされる神」
創世記50:15-21
創世記50:15-21
8月20日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
野﨑 俊師
1.波乱万丈の生涯
ヨセフの生涯は一言で言うなら、波乱万丈の生涯でした。兄たちの妬みを買い、エジプトに売られ、奴隷として働いた家でも主人の奥様の誘惑を拒んだことで牢屋に入れられます。しかし、その牢屋での出会いを通してヨセフはパロに見出され、エジプトの総理大臣となって、多くの人々を飢饉から救ったのです。
2.神様の益とされる計らい
ヨセフは兄弟に「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。」と語りましたが、ヨセフが身に受けた悪をも神様は益と変えられ、ヨセフを尊い主の働きを担う器とされたのでした。
過去の傷や自分の過ちといった悪さえも主を愛し従う中で、益と変えられると信じましょう。
2017年8月19日
「天からのはしご」
創世記28:10-22
創世記28:10-22
8月13日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.孤独の一夜野﨑 俊師
この箇所の背景には、イサクが長男エサウに祝福を与えようとしたのを弟ヤコブが兄になりすまし祝福を横取りした出来事があります。この事が兄の怒りを買い、命を狙われたヤコブはパダン・アラムに逃走するのです。人をだまし横取りする罪責感から神様との関係が壊れ、人とのつながりも破壊された二重の孤独にこの時のヤコブは陥ってしまっていました。
2.かたわらに立たれた主
その孤独の旅の途中野宿するヤコブは夢を見ます。天からはしごがおり、かたわらに主が立っておられるというものでした。そして、主はヤコブに「見よ。わたしはあなたともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、…あなたを捨てない。」と語られました。主イエス様はこのはしごをご自身として語られました。
十字架と復活の主イエスのはしごをつたって神様は汚れた私たちを赦し、側に下り守り捨てないと言って下さる事を感謝しましょう。
2017年8月9日
「信仰による柔和」
創世記26:12-22
創世記26:12-22
8月6日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.譲り続けたイサク
カナンの地にききんが襲った時、イサクは父アブラハムがしたように、エジプトに逃れようとするのですが、主より「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。」との言葉を受けてペリシテ人の地に留まる事としました。イサクはその地で豊かな祝福を得たのですが、争いに巻き込まれ、実に三度も命を支える井戸を譲り渡し移動していったのです。
2.主の祝福の確信と柔和
ではなぜ、イサクは乾燥地帯で命を左右する井戸を三度も人に譲り渡す事が出来たのでしょうか。その理由を単にイサクの性格だけに見るのは命に関わる問題だけに無理があります。イサクは「わたしがあなたに示す地に住みなさい。…わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。」との主の御言葉に立ったのです。
私たちも主の示す方向に進むなら、主がともにおられ祝福して下さる事を信じ、感情的に反応するのでなく、主の御心を求めましょう。
2017年8月4日
「行き先を知らない出発」
創世記12:1-9
創世記12:1-9
7月30日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
野﨑 俊師
1.主の示す地に行く
アブラハムは主より「示す地へ行きなさい」との御言葉を受けた時、「主がお告げになったとおりに出かけ」ました。住み慣れた繁栄の地を後にして未知の場所に主に委ねつつ足を踏み出したのでした。これはこの前の章の「散らされるといけないから」と塔を築き、自分のいたい場所に留まろうとした人々と正反対の姿勢です。その結末は祝福と裁きに分けられました。
2.祭壇を築き祈る
信仰をもって出発したアブラハムですが、カナンの地に足を踏み入れ、カナン人を目の当たりにして、これから大丈夫なのだろうかと不安に陥ったのではないかと想像されます。その時、彼はその地において、与えられた約束の御言葉を心に刻むための記念碑の意味を込めて祭壇を築き、主に祈りました。約束の御言葉を心に刻み、委ね祈り平安に立ったのです。
主の示す地に足を踏み出し、未知の地では御言葉と祈りによって平安をいただきましょう。