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| NO.3 |
2才と5才の子供を持つ主婦ですが、子どもの世話に明け暮れる生活 がたまらなくなっており、外に出て働きたいと思っています。主人は反
対ですが、判断の助けとなることばを教えてください。
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| 聖書を開いてみましょう マタイの福音書6章25〜34節 |
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あなたが子育てに明け暮れる生活に満足できないというのは、ご主人を愛していないということでもなく、子どもを育てることがいやだというのでもなく、きっと女性として自立した生き方をしたいという願望の表れでしょう。もし、そうであるなら
ば、外で働くかどうかを考える前に、自分にとって自立とは何かを考えてみられることが必要ではないでしょうか。
箴言31章10〜31には、家庭の中で自立した「賢夫人」と言われる女性が描かれています。現代と家庭の形態が異なってはいますが、この女性の姿に、女性とし て、主婦として自立するとは何かを学ぶことができます。彼女は家庭の中において
1. 精神的に自立していました。「その夫の心は彼女を信頼して、・・・その夫のために良いことをして、悪いことをしない。」この女性は、主婦という自分の立場を肯定的に受け入れて生きていました。夫のために良いと思うことに最善をつくし、それゆえに夫から全面的な信頼を得ていました。わたしたちが精神的に自立するということは、どんなライフスタイルで生きていたとしても、現時点において、それが神の計画の中にあると信じて積極的に生きることではないでしょうか。
あなたが「子どもを育てるために明け暮れる生活がたまらない」というのは、あなたが自立願望に相反した依存的な考えをしておられるからではないでしょうか。あなたは自分の欲求が満たされないのを、主人のせいにしたり、子どものせいにしていますが、そのような自己中心的、自己愛的な考えは、あなたが精神的に未熟であることを示すものです。そこから出なければ、たとえ外に出て働かれても、決して豊かな自立した生活を望むことはできないでしょう。まず、神の前に自分をおき、今の生活を神の計画として受け入れ、積極的に子育てに取り組んでください。必ず、充実感を見出すことができるでしょう。
2. 社会的に自立していました。「彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように仕上げる。・・・手を貧しい者に開き、乏しい人に手をさしのべる。」彼女は、目先の幸せしか見えないような人ではありません。家庭の将来を考えて経済的な基盤をつくることに余念があまりせん。しかも決して我利我利亡者ではなく、進んで貧しい人に手をさしのべ、決して夫の品位を傷つけるようなことはしません。あなたが外で働かれることも一つの生き方です。しかし、「子どもの世話に明け暮れる生活がたまらない」と言われるあなたの目に、家族の将来のこと、ご主人の社会的立場、社会奉仕などが見えているでしょうか。
「・・・あなたがたが召されたのは自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」(ガラテヤ5:13)とありますが、自立するとは、自分の思うことをすることではなく、家族の将来のために土台をつくり、社会において貢献をするようになる肯定的な生き方ではないでしょうか。そのような生き方を求めなければ、あなたが外で働くこともストレスが増すだけで、退屈さは変わらないのではないでしょうか。
3. 価値観において自立していました。「彼女は口を開いて知恵を語る。その舌にはいつくしみの教えがある。・・・・あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。しかし、主を恐れる女はたたえられる。」彼女は、主人に従順な女性でしたが、決して主人にべったりの人ではありません。しっかりとした価値観を持っており、あでやかさの欺瞞、美しさもつかの間であることを知って、清さといつくしみという内なる美しさを大切にしていました。自立とは、価値観において自立すること、人として大切なものが何かを知り、それを大切にする生き方をすることです。あなたが何が自分に、家庭に、お子さんにとってもっとも大切であるかを考えられるならば、あなたが外で働くことについても結論を見出すことができるでしょう。何よりも「しかし主を恐れる女はほめたたえられる」とあるように、まず、主を恐れる人生を始められることです。必ず、退屈な生活など考えることができなくなり、家庭生活も充実し、子育てにも確信を持つことができるでしょう。
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