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| NO.6 |
わたしは正直に一生懸命仕事をしてきたつもりですが、することなす こと裏目に出、神も仏もあるものかと思うようになりました。どうした
らこの不信感から抜け出られるでしょうか。
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| 聖書を開いてみましょう ヨハネの福音書 20章24節〜29節 |
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自然界がもっとも美しい春を迎えていますが、この美しさのためには、冬もなくてはならない季節です。寒い冬の間に草木は根が張り、組織が固くなり、病気や暴風に耐えるようになるのです。「逆境」とは、状態が逆さまになること、人生が裏目に出ることですが、このような時は、人格形成になくてはならない時です。「順境の時に楽しめ、逆境の時に考えよ」(伝道7:14)という言葉がありますが、逆境の時 は、何が真実なものであるかを考えて見る良い機会です。。
主の弟子のトマスは、イエスが十字架につけられた時、何もかにも信じられなくなりました。「わたしたちの希望は、この人だ」と信じて主に従って来ましたが、それが裏目に出たからです。彼は絶望のあまり、弟子たちから離れていましたが、弟子たちの所に帰って見ると、弟子たちが「わたしたちは主にお目にかかった」と言っていました。しかし、彼は頑として信じようとせず、「わたしはその手の釘あとを見、・・・手をそのわきにさし入れて見なければ、決して信じない」と言っていました。しかし、復活された主イエスは、彼に現れ、その手とわきを示して「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。・・・信じない者でなく、信じる者になりなさ い。」と言われたのです。彼は「わが主よ、わが神よ」と言ってひざまずき、信じる者に変えられました。よみがえられたキリストを知り、その手とわきの傷を仰がれるならば、あなたも信じる者となることができるでしょう。主の手と脇の傷に
1. 正義の勝利を見ることができます。トマスは、主が罪人によって十字架につけられれた時、あなたと同じように「神の義はどこにあるのか、神など信じられるか」と思ったにちがいありません。彼には正義の敗北たように感じられたのです。しかし、確かに、手に釘あと、わきに槍で刺し貫かれ傷を持った方が、彼の目の前に立っておられました。それは人間の悪に対する神の勝利のあかしでした。
確かに、この世には「正直者が馬鹿を見る」ようなことは少なくありませんが、しかし、少し視点を変えて見るならば、彼らの繁栄は、殺される日のために自分を肥え太らせている豚のようなものです。主は、復活の勝利をわたしたちに示して、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われるのです。しかし、他人を悪人にして、自分が善人かのように錯覚してはなりません。逆境の時にこそ「わたしに問題はないだろうか」と真剣に反省して見る謙虚さが大切ではないでしょうか。
2. 愛の勝利を見ることができます。トマスは懐疑的な性格で、いったん落ち込むと寝食を共にしてきた弟子たちも、主の言葉さえも信じられなくなりました。主は「あなたの指をここにつけて見なさい。・・・」と言われましたが、それは「わたしの手の傷、わきの傷から流れた血は、あなたの罪のために流したのだ」と言われたものです。「わが主よ、わが神よ」とは、彼の不信が愛によって克服されたことを示しているでしょう。
どんなに失望している時でも、ひとりでも自分のために身を投げ出してくれる人がいるならば、わたしたちは信じる気持ちになれます。もちろん人間の愛には限界があります。しかし、主の手の傷は、死も打ち勝つことができない愛があることを示しています。あなたもこの愛の内にあります。人生をあきらめないでください。
3. いのちの勝利を見ることができます。復活の主の手と脇の傷は、神のいのちが死を飲み込んだことを示しています。死は、生きとし生ける者をことごとく飲み込んでしまう巨大なモンスターで、だれもその大きな口から逃れた者はいません。しかし、主は、死によって、死をそのいのちの力で征服されました。わたしたちもその勝利に与ることができます。主によって逆境を新しい人生の踏み台としてください。
アフリカで伝道していたある婦人宣教師が、努力しても報われない働きに失望してミッションセンターに帰っていました。ちょうどイースターの時でしたので、彼女が主のよみがえりについての記事を読んでいた時、彼女の目を「主は生きておられる」(ルカ24:23)という御言が釘付けにしました。彼女は御言を黙想しているうちに「そうだ、主が生きておられるなら失望する必要なはない」と考えるようになりました。彼女は再び宣教地に帰ってすばらしい働きをしたそうです。
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