お知らせ

9月24日(日)の礼拝説教要旨

「堅固な城壁に立ち向かう」
ヨシュア6:1-20

 
                 2017年9月24日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
1.主のしもべとしての自覚
 イスラエルの民がエリコの町を攻略しようとしていた時、リーダーのヨシュアに主は一人の将を遣わし、ヨシュアはその将が自分の手助けをしてくれる敵か味方か気にしましたが、将は「いや、わたしは()()()()()として、今、来たのだ」と語り、ヨシュアはその方の前に地に顔を付けて伏し拝みました。私たちも主の働きに仕えるしもべであるとの自覚に立ちましょう。

2.主の時が満ちるまで
 そして主がヨシュアに告げられたエリコの町の攻略方法は六日間一日一周町の周りを回り、七日目には七周回って角笛の合図の後に大声でときの声をあげよというものでした。イスラエルの民たちは合計で13周町の周りを回った事になります。そして回り終えた時エリコの町の城壁は見事に崩れ落ちたのです。

 私たちも主の働きのしもべとしての自覚に立って主の時の満ちるまで仕え続けましょう。
 

10月29日の礼拝説教要旨

「何度まで赦すべきか」
マタイ18:21-35

 
              2017年10月29日(日)主日礼拝
  野﨑 俊師
1.兄弟を得るために
 この主イエスが語られた赦しの箇所はその前の所とセットになって理解すべき御言葉です。そこでは、一人も迷い出る事を願われない主の愛が示され、兄弟が罪を犯したならそれをはっきりと指摘し主に立ち返るように迫る事が語られています。そして、その兄弟の回復のために心を注いで祈るように求めるのです。

2.赦された者として赦す
 そして、続く箇所で何度まで人の罪を赦すべきかとのペテロの問いに主イエスは答えられ、無限に赦し続ける事を教えられました。それは、私たちが計り知れない主の御恵みによって霊的破産者であった者が赦された事に心を向ける時に可能になり、人を赦す時に私たちも主と一つにされる祝福に立つと教えられました。

 罪は罪としていい加減に扱わず、その兄弟の回復のために祈り、また犯された罪は主に赦された御恵みを思いつつ赦し続けましょう。
 

いこっと11月開催日のお知らせ


「いこっと」は未就園のお子様と保護者の皆様を対象として、子どもたちが安全に楽しく遊び、保護者の皆様が交流を持ちながら休息の時を持つ事を目的に開かれています。

地域の中で皆で支え合いながら健やかに楽しく子育てをしていくために、ご活用下さい。

日時:11月14日(火)10:30~14:00
料金:無料


※ランチスペースがありますので、お弁当やおやつなどご自由にご持参下さい。
※保育士資格を持つスタッフが常駐しています。
※本スペースは伊丹聖書教会のサポートの下に実施されていますが、宗教活動・勧誘は一切行っておりません。
 

10月22日の礼拝説教要旨

「豊かに実を結ぶ」
マタイ13:1-9,18-23
                10月22日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
 
1.頑なな人たち
 この種蒔きのたとえが語られた背景を見る必要があります。このたとえは、主イエスの悪霊を追い出し癒しされた御業を悪霊の力で行っているとした者たち、また主イエスがおかしくなったのではないかと心配している家族たちといった主イエスを信じなかった人々と信じた弟子たちとの対比が大きなテーマになっています。

2.弟子たちの祝福
 そして、主イエスは信じた弟子たちへの祝福を語り、彼らを励まされました。「持っている者はさらに与えられて豊かになり」と主イエスを受け入れた弟子たちは豊かな恵みの世界に導かれていく事を語られました。良い地となった彼らは豊かな実を結ぶと励まされ信じた弟子たちの祝福を語られたのです。

 私たちも、良い地として主イエスを受け入れ、祝福を受けて来た恵みを感謝し、この道にそれる事無く立ち続けましょう。
 

10月15日の礼拝説教要旨

「岩を土台とした生涯」
マタイ7:24-27
                 2017年10月15日(日)主日礼拝
野﨑 俊師
 
1.父なる神の御心を行う者
 ここは山上の垂訓の結びであり、一言でそれは「狭い門」、「いのちに至る門」から入る生き方であると語られています。「心の貧しい者」、「義に飢え渇く者」は幸いですとの言葉から始まったこの教えですが、弱さと罪深さを自覚し、十字架を仰いで主により頼み、救いの門をくぐった者として、その生き方を歩み続けましょう。

2.永遠に残る働き
 そして、そのような生き方を送った者は岩を土台とした生涯を送ったものであると主イエスは語ります。貪欲に自らの満足を追い求めて行く者の生涯ははかなく消え去り、弱さと罪深さを自覚し十字架を仰いで救われた感謝の中、主イエスの御心を求めて生きた者の生涯は永遠に残る事を主イエスは教えられたのです。

 主イエスを土台とし、その贖いと御助けを仰ぎつつ、御心を求めて生きる、永遠に残る生涯を送る者となりましょう。
 
 

10月8日の礼拝説教要旨

「神へのナジル人」
士師記16:4-6,15-22
                 2017年10月8日主日礼拝
野﨑 俊師

1.主を軽んじたサムソン
 サムソンは生涯を神様に捧げられた神へのナジル人としてこの世に誕生しました。主はそのサムソンの生涯を祝福され怪力という賜物を与えられました。しかし、サムソンはデリラという女性の願いに負けて、主の祝福を軽んじ、大したものではないかのように扱い、ナジル人の誓願を危険にさらしていったのです。

2.悔い改めたサムソン
 そして、主が離れ祝福を失ったサムソンはペリシテ人に捕えられ、牢に入れられ穀物を粉にするという労働を課せられます。彼はその孤独で単調な作業の中で、自らを省み、一時的な感情を優先して主の祝福を軽んじて言った自らの愚かさに気付かされ悔い改めます。主はそんなサムソンに祝福を返されました。

 主の道を軽んじ、主の祝福を一時的な感情で失う事のないように。道をそれた自分に気付かされたなら十字架を仰いで立ち返りましょう。
 

10月1日の礼拝説教要旨

「ギデオンの召命」
士師記6:7-16
                 2017年10月1日(日)主日礼拝 
野﨑 俊師

1.「勇士よ」という励まし
 神様がイスラエルを救う士師として立てたギデオンはミデヤン人を恐れて酒ぶねという穴に隠れて脱穀しているような臆病者でした。そんなギデオンに主は使いを遣わし、「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と語り掛けました。主は恐れ縮こまっていないで主が共におられる事を思い、奮い立てと励まされたのです。

2.「あなたのその力で」という召し
 そして主は「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。」と招かれたのです。ギデオンは自分の分団は弱く、私も若輩者に過ぎませんと語りますが、主は「あなたのその力」が必要なのだと語られるのです。そして、主に持っている力を捧げたあなたと共に私はおり、その働きを支え導くと語られたのです。

 主は私たちの持っている力を必要としています。そして、持っている力を主に捧げた者と共におり、働きを支え導いて下さるのです。
 

9月17日の礼拝説教要旨

「限りある命を生きる」
ヨハネ3:1-15
9月17日(日)主日礼拝
岸本 望師 

 この箇所でユダヤ教の教師であったニコデモは主イエスとのやりとりの中で「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。」と自分の人生の黄昏の時を思わせる言葉を語っています。そのニコデモに主イエスは「人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」と主イエスの十字架の御業によって与えられる永遠のいのちについて語られました。
 人生は限りがあります。しかし、主イエスを信じ、その十字架と復活による贖いの御業に与る時、私たちには永遠の希望が与えられます。私たちもこの慰めに生き、この希望を語り伝える者とならせていただきましょう。
 

9月10日の礼拝説教要旨

「逆風の中での慰め」
マタイ14:22-33
                 9月10日(日)主日礼拝
野﨑 俊師

1.神である主イエスの慰めの言葉
 湖の上を舟で移動していた弟子たちは、逆風の中で9時間もの間進みあぐねていました。疲労困憊する中で、恐れと不安に満たされていた弟子たちは主イエスの接近さえも幽霊としておびえてしまったのです。私たちも、身体に不調を抱え不安がある時、物事をマイナスに捉えがちです。そんな私たちにも、主イエスは神としての権威と御力をもって、「しっかりしなさい。恐れることはない」と慰めて下さるのです。

2.主を仰ぎつつ進む
 その言葉の後に、ペテロが主イエスの御力を信じて、主イエスと同じように湖の上を歩きますが、吹いてくる風に思いを取られ、恐れて沈んでしまいます。私たちも、「イエスから目を離さないでいなさい」とある御言葉に立って、主イエスに思いを集中し委ね進みましょう。

 疲れ恐れる時にも、力ある神なる主イエスの慰めの言葉に立ち続けましょう。
 

9月3日の礼拝説教要旨

「祝福されるささげ物」
マタイ14:13-21
                9月3日(日)主日礼拝
野﨑 俊師

1.それぞれのベストを主にささげる
 主イエスに助けを求めてついてきた群衆たちに食べさせる物がなかった時、それぞれで買いに行かせようとする弟子たちに、主イエスは弟子たちが今持っている全てである5つのパンと2匹の魚を持ってくるように語り、それらを祝福し、1万人を超える人々を満腹させました。私たちも、与えられている賜物と状況の中で精一杯の物を主に差し出し、それらを祝福される主の御業を拝させていただきましょう。

2.聖餐式の前味
 この出来事は聖餐式の前味として理解する事が出来、ユダヤ人の間での家族の食事のイメージが込められています。私たちも聖餐式に与る時、共にキリストの祝福を分かち合い、キリストの身体を形成する一つとされた各器官であり、神の家族である事を覚えましょう。

 それぞれのベストを主に捧げ、聖餐式は一つとされたお互いである事を思い与りましょう。